Well-being有識者インタビューVol.7

スマートフォンに代表される携帯端末や不特定多数への発信を容易にしたSNS。近年、長足の進歩を遂げた情報技術(IT)の数々は世界中で人々の利便性、効率性を飛躍的に高めたが、一方で人権の侵害、社会の分断を助長するといった多くの弊害ももたらす形になった。人と人相互の関係が多岐にわたり、複雑化したこうした時代にウェルビーイングをどう考えるべきか、情報学研究者のドミニク・チェン氏(早稲田大学教授)に聞いた。

写真:ドミニク・チェン氏

早稲田大学 文学学術院 文化構想学部 教授 ドミニク・チェン 氏

博士(学際情報学)。公益財団法人Well-being for Planet Earth シニアリサーチャー。テクノロジーと人間、そして自然存在の関係性を研究。主著に『未来をつくる言葉―わかりあえなさをつなぐために』(新潮社)など。(撮影:荻原楽太郎)

心の健康を左右 ITの恩恵と弊害を見極めて

私がウェルビーイングの考え方について深く考え始めたのは、自身で経営するIT企業で運用していたオンライン・コミュニティを利用してくださっていた人たちの存在がきっかけでした。私たちのサービスの一つに、辛かったことを匿名でつぶやくと、他の利用者たちから励ましのメッセージを受け取ることができるものがありました。ある時、一人の若い利用者の方から、このサービスがあるおかげで毎日を元気に過ごせているという手書きのメッセージが会社に届きました。この時、とてもありがたいと感じつつも、自分たちが作っている情報技術には多くの人々のメンタルヘルスを左右する力があるのだと、身が引き締まる思いもしました。

2010年代はスマートフォンが世界中に普及すると共に、行き過ぎたテクノロジーの発展と利用が多くの社会問題を生み出した時代でした。ネットいじめ、スマホ中毒、炎上など、本来は私たちの生活を豊かにしてくれるはずの検索エンジン、SNSや広告技術などのテクノロジーが社会の分断を助長していることが少しずつ分かってきました。これまでのIT産業では、いかに利用者を熱中させ、中毒状態にさせるかという経済競争が過熱した結果、人々のウェルビーイングが見過ごされてきたのです。

それと同時に、エンジニアやデザイナー、そして研究者の間では、人々のウェルビーイングに資するデジタル・テクノロジーの在り方が議論されるようになりました。私が企業経営から研究活動に軸足を移したのも、より長期的な視座に立って、望ましいテクノロジーの形を探求したいと思ったからです。大学では若い学生たちと既存のSNSの問題について語り合い、技術の本質について考え、どうすれば社会的なウェルビーイングが担保されるような仕組みが作れるのかということを議論しています。

ウェルビーイングを考えるということは、究極的には「人間とは何か」を問うことになります。人間には普遍的な共通点もありますが、それ以上にステレオタイプに還元できない人それぞれの多様性があります。これまでのテクノロジーを巡る言説は、利便性や効率性を求めるあまり、そのような人間の複雑で深い本質から目を背けてきました。だからこそ、テクノロジーとウェルビーイングを考える上では、哲学や人類学、倫理学といった人文知の議論を取り入れていく必要があるのです。

コロナ禍でリモートワークや外出自粛を強いられたことにより、デジタル・テクノロジーは利便性と共に課題も浮き彫りになりました。結果的に、メンタルヘルスの重要性も広く認知されるようになってきて、ウェルビーイングについて様々な人と話す機会が増えています。その中で、ウェルビーイングとは、マニュアルのように暗記するものではなく、常に揺れ動く自身や他者の心を見つめ、語り合うことが大事だということを実感しています。これまでのウェルビーイング研究は個人にフォーカスしてきましたが、今後は自己中心的に幸福を追求するのではなく、他者と互いの心身をケアしあう関係性も重要なテーマになると考えています。困難な時代ほど人がより善く生きる術が求められますが、その意味では今こそウェルビーイングについての社会的な議論を、企業や教育機関、行政や司法、そして個人のレベルでも推進できるのではないかと思います。

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