Well-being有識者インタビューVol.14

人々の実感としての豊かさ(ウェルビーイング)を測る指標は、一人当たりGDPのような客観的指標と、個人の幸福度を表す主観的指標に分けられる。先進国で暮らしていても主観的指標が低い場合、人は不安を抱え、不満足な状態にあると言える。主観的なウェルビーイングは、人の安全や尊厳を守る「人間の安全保障」の考え方とも相似性がある。その「人間の安全保障」の実践と発展に力を尽くしたのは大学教授から日本初の国連難民高等弁務官となった緒方貞子氏だ。直弟子として緒方氏の背中を追い、国際関係の道に進んだという学者で国連日本政府代表部大使も務めた星野俊也氏に、この概念が生まれた背景と意義について話を聞いた。

写真:星野俊也氏

大阪大学大学院国際公共政策研究科 教授 星野俊也 氏

2017年8月から3年間、国連日本政府代表部大使・次席常駐代表を務める。上智大学外国語学部卒。国際公共政策学博士(大阪大学)。国連日本政府代表部公使参事官などを経て現職。専門は、国際政治学、国連外交、地球規模課題、SDGs/ESG、平和構築、人間の安全保障。

人の「安全と尊厳」幸せな社会へ議論を

緒方貞子先生が国連難民高等弁務官となった1991年は湾岸戦争が起こり、イラクからクルド人が国外に逃れようとしましたが、トルコが国境を閉じたために多くのクルド人が国内避難民として国境地帯に留まることになりました。当時の国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)では国境を越えた難民のみが援助対象だったのですが、緒方先生は個人を単位に安全保障を見ることが当然と考え、国内避難民も保護する決断をしました。90年代は世界各地で内戦が多発したことから、恐怖から人々を保護するという「人間の安全保障」の実現が求められました。一方、インドの経済学者アマルティア・セン氏は、極度の貧困にある人も含め、人間本来の豊かな潜在能力の強化(エンパワーメント)の大切さを唱えました。命をつなぐための保護を考えた緒方先生とセン氏の理論が一緒になり、人間の安全保障の考えが根付いたのです。

今年の2月に国連開発計画(UNDP)が発表した報告書「人新世の脅威と人間の安全保障」では、緒方・センのレガシーを引き継ぎつつ、新しい時代の人間の安全保障を作り上げるもので、私もその作業に関わりました。きっかけはコロナでした。人間の安全保障は「恐怖からの自由」「欠乏からの自由」「尊厳を持って生きる自由」の3つが柱です。コロナは感染症ですが、経済や尊厳にも関わる人間の安全保障の危機だと感じました。またコロナ禍ではワクチン・ナショナリズムなど自国優先の動きも起こりましたが、コロナに打ち勝つには世界中の人々が安全になる必要があります。ワクチンを国際的に調達する枠組み「COVAX(コバックス)」は新しい人間の安全保障の形です。保護とエンパワーメントに「連帯」という新しい柱を加え、連帯を通じてグローバルにワクチンなどを提供することも人間の安全保障にしようと提唱しています。気候変動も感染症拡大も人間が生み出したと考えれば、人は保護される存在だけではなく各々の責任ある行動も重要になります。緒方先生はいつも「人間の安全保障は言葉ではなく、政策のツールとして人々に当てはめ、行動につなげてこそ意味がある」と言っていました。報告書では「人間開発と人間の不安全感の同時進行」についても書かれています。今は人間開発の高い国で暮らしていても人々のインセキュリティ(不安全)は高まっています。これはウェルビーイング感の欠如とも重なります。報告書ではまた「人間の不安全感指数」が提起されていますが、これは主観的ウェルビーイングの悪化を裏付ける指標の議論とまさに一致していると思います。

SDGs(持続可能な開発目標)に関しては、大企業やスタートアップでは取り組みが進んでいても、多くの中小企業にとってはまだ遠い存在です。SDGsの取り組みがビジネスチャンスになるという実感が得られていないのはとてももったいないことだと思います。SDGsの中には、平和に関する目標は16「平和と公正をすべての人に」の一つに凝縮されていますが、ウェルビーイングの指標では平和を上位概念として議論してほしいと思っています。

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