Well-being有識者インタビューVol.23

地球温暖化やパンデミックに直面し、将来への不安を抱く人々が増えている。そんな中、企業は働く人々の心身の健康や幸せを重視するウェルビーイング経営に取り組み始めた。企業幹部教育で知られるスイスのビジネススクール・IMDでも、ウェルビーイングの研究や議論が増えているという。IMD北東アジア代表の高津尚志氏に、世界の経営幹部育成の現場で議論され始めたウェルビーイングや「脱成長」について話を聞いた。

写真:高津尚志氏

IMD 北東アジア代表 高津尚志 氏

日本企業のグローバル経営幹部の育成施策の設計や提供に従事。日本興業銀行、ボストンコンサルティンググループ、リクルートを経て現職。国内外の経営幹部や各界リーダーと、競争力、グローバル化、価値創造や人材育成などに関する対話と行動を重ねてきた。

競争と成長重視の価値観からウェルビーイング社会の希求へ

経済の成功とは何か。その意味が最近変わってきたと感じています。ウェルビーイングについて、IMD世界競争力センターのアルトゥーロ・ブリス所長と話した時のことです。世界競争力ランキングなど、企業の価値創造の環境を測ってきたその彼が、「国内総生産(GDP)で測りきれないものをカバーし、繁栄と幸福の両方を測っていくことが求められている」と語っていました。

IMDは企業幹部育成に注力してきたビジネススクールですが、個人や組織のウェルビーイングに関する研究や教育にも、長年取り組んできました。10年以上前から、睡眠、運動、食事やストレスの管理に関するセッションを経営幹部教育に組み込んでいます。今秋には、学内外の研究者が参加する「ワークプレイス・ウェルビーイング・イニシアチブ」を創設します。近い将来、このイニシアチブを「研究所」に発展させ、そこから生まれた研究成果を発信し、教育にもさらに生かしていく計画です。

ウェルビーイングがこれほどまで注目されるようになったのは、社会のありようが大きく変わったことと関わりがあると思います。コロナ禍、戦争、気候危機や人工知能(AI)技術の急速な進化などが相次ぎ、「ポリクライシス」(複合危機)の時代とも言われています。従来のやり方が通用しない難しい状況でも、私たちは心身ともに健やかな暮らし、働き方、組織環境を求めています。経営幹部にとっても、従業員や取引相手はもちろん、自分自身のウェルビーイングもどう保つかが問われています。

同時に、社会全体のウェルビーイングを求める動きも広がっているのではないでしょうか。今年6月に開かれた IMDの「Orchestrating Winning Performance」(OWP)で、改めてそう実感しました。5日間、世界47カ国から約450人の経営幹部がスイス・ローザンヌのIMDに集い、様々なセッションで学習と対話を重ねるこのプログラムで「脱成長(degrowth)はグリーン成長の代わりになり得るか」というテーマが、2日間にわたり議論されました。資源に依存する従来型の経済成長そのものを問い直す「脱成長」の論理に、反論や疑問の声も相次ぎました。ただ、IMDのようなビジネススクールでこのテーマが議論されること自体、成長の希求と競争の末に生まれた現実社会を問い直し、社会全体のウェルビーイングを模索する動きが始まった証だと私は考えています。

ほかにも、気候変動や地政学リスクを踏まえた企業戦略や、ノンマーケット(非市場)領域との連携など、社会課題解決を探るセッションも多く開かれました。各国の経営幹部の熱い議論の様子から、所属企業の利益追求のみならず、社会課題解決に主体的に取り組む「ソシエタル・リーダー」が育っていることを確信しました。時代が求めるリーダー像の変容ともいえますが、組織を変革し社会に貢献するリーダーの育成を掲げてきたIMDの理念に、現実がさらに近づきつつあるのを頼もしく感じ、同時にビジネススクールの責務に改めて思いをはせた次第です。

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